Twins in Family
Daily Snapshots ふたご家族の日常

心配したけど、無事に生まれて良かった。国際電話でCばばの声を聞きながら思った(パパ)。

 
 パパは一足先にアメリカに移動していたので、出産には立ち会わなかった。パパがアメリカ入りして、約1月後の出産だった(1996年5月14日)。
 
 小さく生まれて保育器にも入ったけど、ふたごの出産では珍しくないみたい。子供達は、1週間で保育器から出された(写真 上段左、生後約一週間のふたり)。子供は順調だったが、ママは貧血が続いて、しばらく回復が遅れた。母11日、子供達14日で退院。千葉の実家に戻ってから、Cばばの助けを借りての育児が始まった。この時期の子供は、3時間おきの授乳なのだが、二人揃って起きてくれるわけもなく、夜中、ひどいときは1時間おきにおきる。夜も昼もない日が続く。その甲斐あって2300グラム弱と小さめに生まれた2人だったが、1ヶ月検診の時は大きい方だった。でも、髪の毛はひときわ少なかった(写真 上段右)。

 生後1月半を迎えころ、パパがアメリカから一時帰国(7月11日)。Cじじ、ばば、ママ、パパそろって、子供達を福井のパパの実家に運んだ(12日)。Cばばの憧れのクーファンは格好は良かったが、電車と新幹線の移動には少しきつかった。移動の翌日にみんなでお宮参りをした(13日)。パパは、17日には再びアメリカに戻った。


ふたごは生後3カ月で海を渡る。Fじじ、ばばも名残惜しそうに見送ってくれた。再び日本に戻る日は、この子達も自分の足で日本の地を踏むのだろう。

 暑い夏を9月まで涼しい福井で過ごした。パパの実家にいる間は毎日のように、ふたごを見に来るお客さんがやってきた。9月2日、パパが迎えにやってきた。Fじじ、ばば、それに大ばばとも、しばらくのお別れ。6日に親子4人で出発となった。出発の朝、親戚のお姉さんが駅まで見送りに来てくれた(写真1)。みんなで、代わる代わるふたごを抱っこしてくれた(写真2)。関空に向かう電車の中では、Fじじ、ばばも、名残惜しそう(写真3)。

 さて、いよいよみんなの旅が始まる。ママも、アメリカでの生活の始まりに少し緊張気味(写真4)。飛行機の中は、ふたごをあやすのにママもパパもてんやわんや。偶然、隣の籍に双子の(大学生くらいの)お姉さんたちとおかあさんが乗っており、しばらく手助けしてくれた。この間に、パパとママは機内食をどうにか食べることができた(どうも有り難うございました)。ヒューストンのアパートに戻った夜は、パパが出発の前夜に作って冷凍しておいてくれたカレーを食べた。そして、アメリカの生活の始まりにワインをあけた。


寝返りがうてるようになった頃、ふたごの表情も豊かになった。転がるだけだが、新たな自由を楽しむよう。
 
 
 

 腹這いで、頭を上げるようになったと喜んでいたら (首が据わったころ−写真1、10月13日)(生後5カ月)、約1月後に、りーが寝返りをうてるようになった(11月8日)。その翌日(9日)刺激されたように、ちーもできるようになった。一度やるようになると、いとも簡単なように繰り返した。

 うつ伏せになった直後は、得意げに笑っている(写真2)が、やがて頭を持ち上げることに疲れると、泣き叫ぶ。おかげで、ママはもう一度、仰向けに寝かせ直すのに大わらわ。
 
 しばらくは、お腹を中心に時計の針みたいに、ぐるぐるまわっていた。やがて、ごろごろ転がり始めるので(写真3)、はじめ同じ所に寝かせたはずが、気が付くとあらぬ所にいたり、ぶつかったり。動きまわれることを楽しむように、1日中ごろごろしている。部屋のリビングは広いので、ごろごろもしがいがありそう。とはいっても、目がはなせない。
 


ふたごが本格的に動き出した! まるで予定していたかのように、ある日突然、しようともしなかったことをはじめる。子供が成長するとはこう言うことかと、驚く。

 年の瀬も迫った12月30日(7カ月半)、ちーがお座りをするようになった。少し前のめりであるが安定している。その6日後(1997年1月5日)、りーもできるようになった。こっちのはしゃんとした感じだ。

 腕で体を引きずるようになったので、その内かと思っていたが、2月9日(9カ月)にりーがはいはいを始める。その9日後今度はちーが。いよいよ、動き出した。二人で、ぶつかったり重なったり、どんどん這ってくる。進入禁止ゾーンに柵をつけたり、ブロック用のクッションを置いたりの対策に追われる。

 このころ、声(音)が少し言葉をまねるような感じになっているように思う。いわゆる、言葉にありそうな音を出すことがある。それに、一応、パパとママを区別して呼んでいるようにも思える。最初に覚える言葉は、日本語か英語か?


準備中


よたよたと慎重に歩き始めたのは、ちー。転ぶのもかまわず、走るように歩き始めたのは、りー。

 10カ月にはいると、ちーが捕まり立ちをするようになった。りーは、あまり関心が無く、捕まり立ちや伝い歩きをしなかった。そのせいか、歩き出したのも、ちーが先だった(14カ月)。これを見て、触発されたのか、りーがいきなり、歩き出すようになった。でも、歩き始めの準備が足りなかったためか、少し、強引な感じ。立ち上がると、歩くと言うよりも、走り出す感じで前に進んで転ぶを繰り返した。
 
 始めの頃は、歩くことに興味があるようす。外に連れ出すと、行く先が決まっているようでもなく、ただ、ひたすら歩いた。日当たりよい場所、日陰、水たまり、むかるみ、草むら、足の裏の感触を確かめるように、ただ、歩いた。

 7月のはじめ、二人ともけらけらと笑い声を上げながら、坂を下り芝の上を戯れた(写真)。ヒューストンのダウンタウンのやや南にある、Hermann Parkは、憩いの場所。池には、アヒルや鴨の野鳥も集まる。近くには、博物館、美術館、動物園もあり、その気になれば1日過ごせる。子供達を歩かせる場所としては、最適と、よく連れ出した。走るのも上達すると、少し高い丘を上っては、かけ下るのを繰り返した。下りはじめは良いが、やがて勢いがついて、止まれなくなり、叫び声をあげて前のめりに倒れた。抱き起こすと、転んだときの痛さなど忘れて、また、丘の上に駆け上がっていった。



  お雛まつり、日本のようにはゆかないけれど、感じは出てるかな・・・ 

 Cじじ、ばばが送ってくれた、お雛様を2年連続、1ヶ月遅れで飾りました。日本で買った飾り棚は、幅が大きすぎて郵送できなかったそうです。それで、1年目は、段ボールを重ねた雛壇でした。がんばった割にいまいちでした(写真、右上)。2年目には、ママが思案の末、パパの本棚を雛壇に見立てて飾ってくれました(写真左)。これは、大成功! 写真のママも得意そうです(写真右下)。1歳前の雛祭りは、着物を着せるのもおぼつかなくて、着せてもいやらしく、子供達はじっとしていてもくれませんでした。2歳前の時には、さすがに事情が変わっており、着物も喜んでくれたし、お雛様も大好きみたいでした。少し困ったことは、お雛様を片づけるのをいやがったこと。ママは子供達をなだめるのが大変でした。


 
 
2歳になった日に、子供達には「おめでとう」。パパとママが、お互いにかけた言葉は「また1年間、がんばったね。ご苦労さん」。

 お誕生日は、ママの手づくりのパンプキン・パイでお祝いでした。ストアーで買ったろうそく(写真)をたてて、火をともすと、二人は覚え立ての「きれいー」を連呼。パパとママには、さらにワインを買って、一年の労をねぎらい合ったのでした。ふと、省みるとお誕生日というものは、何だ、親の慰労会だったのかと思うのでした。
 
 子供達も成長したし、少しは楽になると思ったが、ちまたでは「Terrible Two」と言うらしい。実際、その通りで、実に「Terrible」だった。最近では、うちはさらに2倍だから、「Terrible Two, Square」と言っている。さて、3歳になれば楽になると言うのだが、最近、本当だろうかと疑っている(1月17日1999年)。




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